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【最後の音楽】

 ジャンゴ・ラインハルトをテーマに映画をつくろうと思い立ち、ジプシージャズに情熱を傾ける人々に会いに行った。

取材を進めるうちにジプシージャズの魅力が段々明確な形として理解できるようになる。同時に、音楽に情熱を傾ける人々や、時代の変化に興味が湧く。やはり映画は人生を描くものだと実感し、音楽に人生を捧げる人々の内面を掘り下げていく。音楽との向き合い方は人それぞれ異なり、そこに個性や人生の一端を垣間見たような気がした。

ジャンゴ・ラインハルトやジプシージャズを知り、人生が変わったと彼らは話す。彼らの人生に与えた影響から音楽の真の価値が透けて見えた。

ロックギターから始めたという人がとりわけ多い。長年ギターを追求していてジプシージャズと出会いジプシージャズの虜になったのだ。バイオリン奏者の場合は、クラシックなど下地になる音楽がありジャンルの殻を破って始める傾向がある。最初に出会った音楽ではないので、必然的に音楽や音楽仲間に対してオープンなスタンスを取ることが多く、来る者拒まずの精神でセッションが行われる。

音楽も伝達手段の一つと考えると、人と人の交流は重要だ。ジプシージャズの場合は、演奏家同士の交流が多く、積極的に活動する人が多い。各地でジプシージャズのセッションを取材していて思ったことがある。全力で演奏する姿にいつわりはなく、音楽が好きなんだという空気があふれている。演奏の技術に差こそあれ、全員から音楽への思いや気持ちが伝わってくる。演奏を通じて皆と全力で会話しているのだ。永遠と続くジプシージャズのセッションを撮影していて、この人たちにとって音楽で会話することが一つのゴールなのだと感じた。

【ジプシージャズ】

ジプシージャズをさまざまな料理にたとえることができる。バーベキューのように積極的に参加して楽しめる一面もあるが、フランス料理のように受け身に回り高度な技を聴き手として堪能したり、反対に作り手として技を究めたりできる。

元々実演による伝承という形で確立したスタイルなので、楽譜を忠実に再現するクラシックとは異なる。音楽記号では表現できない微妙なニュアンスが重視される。生演奏でないと伝わりにくい所以がそこにある。

【時代背景】

20世紀に録音技術や情報技術が発展し、音楽を取り巻く環境が激変した。それまで「ナマモノ」であった音楽が商品パッケージとして販売できるようになると、音楽ビジネスは急拡大し音楽はマスメディアから発信される情報の一つになった。新たな価値が付加され社会に大きな影響を与えるようになった音楽は、経済活動の原動力として重視される。ジャンゴ・ラインハルトの音楽が才能に比してあまり知られていないのは、ビジネスの潮流を味方につけられなかったという事情が大きいと感じる。

歴史を遡ると、中世には人々は楽器を使って音楽を追求するようになっていた。しかし、20世紀に入るまでの長い期間、音楽は今のように溢れかえっていなかった。音楽は非日常的なもの。宗教的な啓蒙や教育のために発展した面もあるが、日常の疲れを癒し人生の苦しさを忘れさせるのが大きな役割であることは今と変わらなかったと思う。芸や技が磨かれ社会で評価されるようになると、でき上がった「型」を守ることが重視されるようになる。演者と観客の意識の差は広がり、芸術の格式が底上げされていくことになる。

21世紀になりインターネットの普及で時代が大きく動き、人と音楽との関係性も変化した。音楽は身近なものになる。それまで一部のプロにしか許されなかった表現手段が、誰にでも可能なものとなる。特に情報源が無尽蔵にあり容易く手に入るようになると、人伝でしか得られなかったプロの技を簡単に知ることができるようになる。ジプシージャズに関しても、ネットのない時代には大手メディアが取り上げたわずかな情報しかなかったが、今では世界中に発信者がいて多くの人々によってさまざまな解釈や評論がなされている。

努力次第で誰でも表現者になれる時代になったが …。

日常と非日常の境界があいまいになりゴールが全く見えない混沌とした世界で、音楽が果たす役割に変化が求められている。ジプシージャズには、その一端を担う器があると感じた。