3年の長くて短い道のり 

四半世紀の仕事で培った、映像の撮影、編集、取材の経験を生かし映画をつくろうと思ったことがことの始まりです。じゃあ何を作るかという段階になりました。個人制作なので、何を作るのも自由です。ただ、音楽なら得意分野でもあるし、自分の経験が生かせると判断しました。ジャンゴスタイルのジプシースイングをテーマに選んだのは、音楽好きやギター弾きでも知らない人が多いことに疑問を抱いていたため、作る価値があると考えました。もちろん、予算的に有名ミュージシャンに出てもらう訳にはいかない。そう考えると、あまり知られていない音楽で、音楽著作権的にクリアできそうな対象をということで選んだという一面もあります。
ただ選んだのはいいものの、前方に大きな道が広がっていて、どこへ向かっていいのかわからない。地図もなければ方位磁針もない。とにかく不確かな勘を頼りに祈るような気持ちで取材・撮影を進めていくしかありません。結果的に、膨大な素材が溜まりました。
案の定、編集する段階で路頭に迷いました。周囲は巨大な樹海。遭難しても助けてくれる人はいません。自分の足で出口を探さなければならない。ひたすら、映像を並べ替えて色々なパターンを確かめていくという日々が続きました。多分、一年位同じ道をぐるぐる回っていたのだと思います。そして、ある時気づきました。一体、自分は何をやっているのだと。
なぜ自分はこれまで音楽が嫌いになれなかったのかを考えました。8歳の時にクラシックギターを習い始め、中学生でエレキにはまり、その後はあらゆるジャンルのギタリストに魅了されました。もしかするとギターという楽器が好きなのであって、音楽は嫌いなのではないかと考えましたが、そうではないことに気づきました。本当に音楽が好きになったきっかけは中学生の時に出会った映画「フットルース」のサントラです。ケニー・ロギンスのテーマ曲ではありません。デニース・ウィリアムスという黒人の女性シンガーソングライターの曲です。当時中学生の自分にとって、黒人であることも女性であることも関係ありませんでした。リズムに乗って楽しそうに歌っているのと、自由奔放に旋律が展開していくことに心が躍りました。日本語にはない英語のニュアンスにも衝撃を受けました。
単に、知らない音楽に出会って驚いたというのが、音楽中毒になるきっかけです。しかし、自分の場合は高校一年の時に音楽の道に進むのを断念しました。もし、自分が音楽を続けていたら、どういうやり方で音楽を続けていたら幸せだったのだろうかと考えました。その答えを取材した人々から学び取りそれを第三者に伝える。そう方針を変えました。
気持ちを新たに出演者の一つ一つの言葉や行為や演奏を確認しました。すると一つ一つの言葉・行為・演奏は大して意味を感じないけど、他の発言や行為が合わさったり、複数の人の意見が合わさると、一つの流れや傾向や緩急が出来上がり、相乗効果で出演者の人格が肉付けされていき、一つ一つの人の言葉や行為、演奏が意味を持ち、結果的にそれぞれの人たちが何を訴えたいのかわかるような気がしました。ゴールへ向かう道筋がぼんやりと見えてきました。ただ、大体の方角はわかっても、小さな道を一本間違えただけでゴールにはたどり着けません。一つ一つのカットの並びや、切り取り方などディテールにこだわることで、さらに詳しいルートが見えてきました。
映像編集では、作り手自身が自分自身の問題として出演者の言葉に耳を傾けることが重要だと感じました。すると、自分自身の思い込みから解き放たれて新たな視野が広がる場合もあると思います。
答えは必ずしも一つとは限らないですが、相手を納得させるためにまず自分自身を納得させる。表現者にはそれが重要だと思っています。自分の好きな作家や監督、音楽家の作品は、作品は違えども一貫した息遣いみたいなものを感じます。例えば、小津安二郎の作品には、必ず出てくるキャラがいる一方、他の映画作品によく出てくるキャラが出てこない。こうした特徴や個性は、作り手が納得するための手段ではないかと思います。