差別とは

この映画ではジプシーという単語を使っています。差別用語を使ってけしからんと思う方がいるかもしれませんが、採用した意図があります。

ジプシージャズ。この言葉を使っているミュージシャンは才能豊かなジプシーの音楽家に魅力を感じてジプシージャズと呼んでいます。その言葉の裏には敬意しかありません。取材を通じてそのことを痛切に感じ、ジプシーという単語を使うことを選びました。

もちろん、ジプシーという言葉が持つ幻想的な意味を喚起することで、差別という現実から人々の目を背けさせているという指摘があるのも知っています。ただ、本編の中では日本で浸透しているジプシーという言葉を採用することで理解を促し、ジプシーは非人道的な迫害を受けた長い歴史を持ち、差別から解放されるためにロマと自称している人がいるという事実も知ってもらいたいと考えました。

言葉の持つ意味は時代によっても受け止める人によっても変わります。所詮母音と子音の組み合わせ。中身を決めるのは人間の気持ちや思考です。ジャパニーズという日本人を指す呼称も、バブル期には、アメリカで車を売りまくり、海外のリゾート地を買い漁り、旅行者はパリでヴィトンを買いあさる卑しいエコノミックアニマルという意味を持ちました。それが1990年代後半になると、アニメ「アキラ」や「攻殻機動隊」がジャパニメーションとしてもてはやされ、「ポケモン」が世界の子どもに親しまれるなど、文化の国の仲間入りを果たし、ジャパニーズの印象はずいぶん変わりました。

魅力を感じない人に愛着を持てというのもなかなか難しく、欠点を減らしいかに魅力を伝えるかが、差別を減らす最良の方法と思います。既得権益が渦巻く世界ですべてを平等にというのは不可能ですが、差別により可能性や選択肢が奪われるという悲劇はなくなって欲しいですね。

大学時代に反ユダヤ主義や、ロマに興味を持ったことがあります。ちなみに、アウシュビッツに行ったことがあります。下の写真。真冬の収容所です。ポーランドのすごく辺鄙なところにあり、最寄り駅は19世紀かと思わせるほど電気の普及率が低く、薄暗いバラックのような店内で労働者が酒を飲み交わす姿は印象的でした。チャールズ・ディケンズの小説家かと思いました。第二次大戦時とそんなに変わってないと思いましたね。ドイツから見に来ていた女性と帰りの電車が一緒になり話しました。30前後だったでしょうか。彼女も訪ねるのは初めてだったようで複雑な気持ちだと感想を述べていましたね。それよりも、あの辺はめちゃ熱いコーヒーをガラスに入れて飲む習慣があり、ガラスがめちゃ熱くて口をつけられなかったことをよく覚えています。屈強な唇を持っているのか、それとも分厚くていいガラスだから割れないのを誇りに思っているのか。変なこだわりはやめてほしいですね。

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です